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【番外編】 企業訪問 中国青島へ黒瀧氏インタビュー

更新日:2022年6月10日



EBRI事務局担当の岩松美千子こと、「みっちゃん」が会員企業各社を訪問させて頂いて、インタビューした内容を紹介するコーナーです。


EBRIでは、2007年に中国青島市で山東省環境保護産業協会と協力して「日本環境技術商談会」を開催しました。当時青島市滞在中にお世話になりました黒瀧様がこの度日本へ帰られることになりましたので、当時のエピソードや現在の青島の様子などを取材してまいりました。




◆EBRI皆さんとのご縁

青島の環境関係の方の接点は2005年、2006年位の寺田さんですね。青島の近くに即墨市があり、当時出張で来た寺田さんがそこで非常にお酒で大変な目に合って体調を崩し、その時の通訳をしていたのが私の妻で寺田さんが「だれか自分の代りにお酒を飲める方が居ませんか?」と相談され、「それでは私の旦那を連れて来ましょう」というのが最初のきっかけでした。それから寺田さんがこちらにいらっしゃる度にこちらにお声をかけて頂いていました。

その後2006年2007年にEBRIの皆さんがグループとしてこちらへいらっしゃり、展示会を出展されるきっかけとなって、こちらで起業される方も何名かおりました。

寺田さんは当時「バイオトイレ」をやっていらして、その「バイオトイレ」の思い出としては展示会の会場でトイレを展示していたら、そこで用を足してしまった中国人の人がいて、とても印象的でした。その当時の人達で小柴さんやハイマンさんなどと出会ったのもその頃でした。私は喫茶店をやっていて、寺田さんがバスでみんなを連れてきてご飯を食べて頂いたりとかしていました。

また、その時の通訳をやっていたのが王琳娜さんでした。当時彼女は青島大学の学生でしたが、その後ご縁があり、日本へ渡って、現在は3人のお子さんに恵まれて愛知県豊川市に住んでいらっしゃいます。私は豊川市というのは何も接点がありませんでしたが、こちらに駐在されているトピー工業の方が皆さん豊川の方で、その会社の人達が中国語を勉強するのにお願いした先生が王琳娜さんで、すごい繋がりと思い、また、小柴さんと岩松さんも彼女と繋がりがあり、面白い縁だな、と思いました。


◆中国の環境について

環境について、12年位前はまだ中国は関心が低かったです。環境にお金を使って儲かるのか?という声があり、そんな儲からないものにお金をかけてどうするのかというのがイメージとして強かったです。汚水処理などは、その当時実際進んでいなかったし、ただ最近、大気汚染が表面化して、そういった関係は取り組んでいます。

ただ、最悪の状況にしてからこれをもとに戻すのはなかなか難しいと思いますが、現在関心はものすごく高いです。これから例えばPM2.5の問題の影響で10年20年後は気管支系の疾患を抱えた人達が沢山増えてくると思います。そういった時にどうやって防止するか、今そうなった時にどうすればいいのか、というのに関心が高まっています。しかしそこにビジネスチャンスがあるかどうかどうかは私にはわかりませんが、環境系などは大きい規模になりますので、昔の市政府の繋がりとか、そういった権力を持っている人と組んで取り組まなくてはならないと思います。

単身乗り込んできても中々仕事は上手く出来ません。中国は面白い国で、法治国家ではなく、人事国家であります。つまり、どれ位友人がいるか、どれ位知り合いがいるかというのが大変重要となってきます。「こういう技術があります」だけではダメです。どの位一緒にご飯を食べたか、どの位一緒にお酒を飲んだかというのが大切になってきます。付き合いが大事でそういう接点があれば、物事が早く進むことも往々にしてあります。その当時の環境をやっていた寺田さんが開拓してくれた、日本語は話せる中国人のネットワークはまだ生きているので、チャンスがあれば皆さんに紹介できます。

この前青島日本領事館の方と話した時に、2005年位の時は青島に日本人が3000人位駐在していました。しかしこれは登録してある人数ですので、実際には3500~4000人位は居たかと思います。そして今年の登録者数は1600人で未登録の方含め全体で2000人位が現在青島にいるそうです。業界的に一番多いのが繊維系の企業です。それは山東省が綿の産地であるからです。ただ、繊維系は大きい企業がありません。その為日本人の駐在は少ないです。一番多いのは東レ、ヤンマーです。それぞれの会社に30人いるか居ないか位の人数です。10人以上駐在している会社はあまりないです。


◆日本に帰るにあたって

初めて私が日本から青島にきたのは1995年でした。青島の方と結婚しそれから2005年から約12年間いました。息子が小学校1年生で、当時開校2年目の日本人学校に入学し、彼が高校を卒業するまで青島にいました。これから帰国し、日本に居なかった空白の時間があるので、今の日本について行けるかというのが心配です。そして帰ってから絶対「中国良かったな」と思うと感じる時が来ると思います。これからは新しい日本の生活が不安と楽しみであります。食品業界と飲食業界にいたので、出来ればいつか青島で関わった人たちが集まる場所を提供出来たらと思っています。

 これからの青島は2016年に地下鉄が一部開通して、交通網として地下鉄の整備を広げ、国際空港を新たに作るということで、まだまだこれからも変わって行くと思います。2007年位に青島に来た皆さんが今の青島に再訪されたらきっと驚かれると思います。そして自分も10年後に青島に来たら驚くと思うので、そういった発展性はかなりあると思います。


以前滞在したホテルが建設工事中
食事したレストランも今は別の飲食店










インタビューにお答え下さった黒瀧さん
旧市街地の基督教会は昔のまま










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